Das Leben ist Ein Abenteuer...

自分を磨こうとあれこれ考えています。東急電鉄が好きで実業家に憧れているPG。

僕の人生を変えたDJ、DAISHI DANCE

僕がかつて好きだった、DAISHI DANCE(ダイシ ダンス)というDJが居ます。

クラブ音楽をあまり知らない方は、DJというとクラブでターンテーブルを使って曲を流してるようなイメージと思いますが、それだけでなく曲の制作をやっているDJも多いです。

DAISHI DANCEもその1人で、自分で曲を作りつつ、クラブでDJもやるスタイルでした。(最近は分かりませんが。。

 

まぁ、DAISHI DANCEの曲やDJのスタイルは、時代と共に大きく変わってしまい、僕は今の彼の曲やDJにはすでに興味が無くなってしまい、クラブも全く行かなくなりましたが、昔(2009年~2012年頃)は彼の曲やDJが本当に大好きで、彼のDJを追っかけて、関東に住んでいるにも関わらず、関西や北海道に遠征したりしていました。

 

僕が好きだった頃のDAISHI DANCEの曲というのは、いわゆる「ピアノハウス」と呼ばれるジャンルでした。

クラブ音楽というと、シンセサイザーの音が効いたサウンド重視な曲をイメージすると思いますが、当時のDAISHI DANCEの曲は従来のクラブ音楽のイメージを覆すような、メロディアスでピアノとストリングスの音色を使っていて、そして哀愁を思わせる(少々専門的に言うと、ロ短調などのマイナーキーやマイナーコードをよく使った)曲調が特徴でした。

元々、哀愁的でかつスピード感のある曲が好きだったので、彼の曲を初めて聴いた時の自分の好みにドンピシャすぎるその衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがあり、「ああ、俺はこの人の曲を聴くために生まれてきたのかもしれない」と本気で思いました。

更に、曲だけでなく彼のDJは、「DJってただ適当に曲を連続的に流しているだけでは」と思っていた僕の価値観を破壊するような、圧倒的にドラマティックなものでした。

 

ただ、当時僕のまわりでDAISHI DANCEやクラブに興味のある人はとても少なくて、居てもクラブを朝までどっぷり居るというほどの熱を持っている方は居ませんでした。

そんな中、Mixi(当時はMixi全盛期だった)で、一人のDAISHI DANCEファンと知り合いました。僕がMixiDAISHI DANCEのCDレビューを暑苦しく書いたら、それに反応してくれたようで、彼とはその後クラブで会い、それが他のファンの方とも出会うきっかけとなりました。

今までの友達とは、一味も二味も違う人たちが、そこには沢山居ました。

同じDAISHI DANCEのファン同士、朝までクラブで盛り上がり、そうしているうちにクラブ以外でも会って遊んだりする機会も出来たりして、学生の頃よりも遊んでいるんじゃないか?と思うくらいでした。いや、実際そうでしたね。

 

実はそうなる前、僕はとても憂鬱な日々を過ごしていました。簡単に言うと、仕事は失敗ばかり、プライベートでは何度か失恋したりと、当時の友達と遊んだりしても全然気が晴れず、悩んでいました。

 

でも、DAISHI DANCEファン同士で遊ぶようになってから、そういた陰鬱な気持ちはなくなりました。ついでにその頃ちょうど転職もして仕事の悩みも解消しました。そのときに思ったのは、どうしてもうまくいかなければ環境をまるっと変えるのが良いのか!という結論でした。

更に、親友とか恩人とか、そういう風に呼べる人たちと知り合えました。もっというと、恋人と呼べる人とも出逢えました。

逆に言うと僕はそれまで、本当の意味で、親友というような存在が居なかったという事なんだと思います。

それまでは、ある程度仲が良い人がいても「どこか違うな…」と思うことが多かったです。仲が良いと思っていたら、実は他の人の味方だった、というような事もありました。

憂鬱だった時期、色々と思うことがあり軽く人間不信に陥っていたのもあります。

 

とにかく、この機会で得たものはあまりに大きかったです。

彼の音楽に出逢えたことも素晴らしいことでしたが、それ以上に、彼の音楽を通して出逢えた人間関係やできた思い出は、僕の人生の財産と言えます。

 

僕は今、ドイツへ行って現地で働くためにドイツ語を勉強していて、特にここ最近は仕事以外の時間は極力、ドイツ語と技術の勉強に使っています。元々頭が良くないので、それくらいしないと覚えれません…

でもそれは、当時たくさん遊びつくしたからこそ、出来ることなんだと思います。

とにかく今は、また新しい環境へ飛び込むために努力したいと思います。(と自分にプレッシャーを与える…)